頂き女子りりちゃんについて
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2024年5月30日
にゃん (人間語・日本語訳 このアカウントは思いつきではじめた。 僕は「自殺」を絶対的に否定している。 「自殺」から救い、そしてその救った「誰か」を僕の強くて裏切らない仲間とする計画を、ぼんやり考えていた。 「自殺」とは「他殺」である。それは、社会が殺したという意味で「他殺」であるし、また、自分が自分を「殺す」という意味でも「他殺」である。自分を「殺す」ことは、とても勇気のいる行為だ。僕は、たまに死にたいと思うが、その勇気がないので、できない。だから、自分で自分を「殺す」ことのできる人はすごいと思う。 いや、君に自殺をしてほしいわけじゃない。本当にやめてほしい。 こんなことを言ったら怒られるだろうか、死んでほしいと思う人がいる。しかし、そういう人間ほど、他人を苦しめてのうのうと生きるのがこの世界だ。逆に、まっすぐで、やさしくて、純粋で、まじめで、そんな人間ほど、苦しめられて死を選ぶのがこの世界だ。 だから、だから僕は君に「自殺」をやめてほしい。君は何もなしに「自殺」なんてするわけがないんだ。君は、絶対に誰かに「殺された」んだ。だから僕は、君を殺した誰かを見つけて、そいつをとっちめたい。 僕の周りで自殺した人間は、そんな人間ばかりだ。死ぬべき人間がのうのうと生き、生きるべき人間が苦しんで死ぬ、あるいは苦しみの夜を過ごす。僕が苦しいのは、この、矛盾した世界のシステムに、僕自身が加担しているからだ。 救おうとしたつもりが、救えなかったり。助けたつもりが、助けてなかったり。そんなことが何度もあった。 「あの時、会わなかったらよかったね」「あの時、君の会社に入らなかったらよかったね」 こんなセリフを言わせてしまった僕は、自分を一番殺したい。 僕を愛してくれたある女の子は、彼女が売春をせず、そして、自殺をせず、そして、ホストにも通わず、そう諭した。ホストクラブにも乗り込んだし、メディアも使ってそのホストたちのことも記事にしたし(示談しないと本名とその記事がリンクするというトラップを仕込んだ。)弁護士も僕の盟友についてもらったし、そしてまた、ここには書けない色々なこともあった。彼女はホストに通うことをやめた。 僕は、彼女に文章の才能を見出していたから、何かそんな仕事をさせようと思った。才能は、埋もれているのだ。埋もれている才能を発掘するのが、僕の趣味だ。僕の会社に入った後、彼は、自殺未遂を繰り返し、自傷を繰り返した。ホストに通っていた時よりも、彼女の体には傷が増えてしまった。しまいには、SNSに僕の本名や色んなことを書き、自殺未遂を図った。それを見た別の家族(社員)の鬼電で僕は飛び起きて、彼女を助けに行った。睡眠薬を飲んでふらふらの僕を前に、その僕に包丁を突き付けながら、彼女はこう言っていたらしい。 「なあ、こいつ、ふらふらなんだけど。ははは、なあ、こいつやっちゃっていい?こいつ、やっちゃっていい?」 僕は、サイレースが効いていたから(サイレースは、効いているとお酒を飲んだ時のような酩酊状態になる。また、記憶がなくなる。)その時のことを覚えていない。 後から、部下にその話を聞いて、僕は笑った。「自殺未遂を止めに行って、殺されかけるなんて、面白過ぎるじゃん(笑)」たしかに、帰り道、床に血のついた包丁が落ちていた。僕の首筋には、かすれた傷がある。(あと数センチズレていたら、危なかっただろう。) 僕は彼女を恨んではいない。彼女は翌日、僕に謝りつくしてきた。警察の人を呼んで、前後の流れを知らない警察の人は、僕がただの悪い男かどうかわからないから、毎日彼女の家に、安否の確認をしにいっていたらしい。(その日、彼女は遅くまで連絡が返ってこなかったのだ。心配になった僕は、合いかぎがあるからといって、勝手に彼女の家に入ってまた面倒になっても嫌だなと、警察署に行って事情を話して、心配だから入ってもいいかと確認を取った。警察の人は言った。「ああ、もう私たちがいって、安否は確認していますよ。」) そのままだと、警察の人も心配で、毎日彼女の家に安否の確認に行くだろう。そう思って、僕は彼女に二人で警察署に謝りに行こうと言った。待ち合わせ場所で、僕は言った。「お、あぶね、包丁もってきてないよな?あぶね~」彼女は、笑って、少し怒って、そして、笑った。 彼女はここには書けないある事情から、僕の会社で働くことができなくなった。結論から書くと「彼女に必要なのは、仕事ではなく治療です。」まさしく、その通りだと思った。僕は、焦り過ぎていたのだ。まずは、彼女の心の病の治療だった。その過程で、彼女が売春することや、ホストに通うことは二の次だったかもしれない。いっぺんに解決しようと、環境を一気に変えたことが、彼女に重いストレスを与えてしまったんだろう。 結果がすべてだ。彼女は、売春をして、ホストに通っていた時よりも、体につけた自傷痕が増えてしまった。 彼女とは、たまにラインする。「元気?」「うん、元気」いつもは、その程度。 でも、たまに、深夜に爆発的に愛のメッセージが炸裂して、朝にはそれが消えている。僕は、彼女に何もしていない。むしろ、金銭的、労力的な面で言えば、損しかしていない。しかし、彼女をこうしてしまったのは僕の責任だから、僕は彼女の人生に責任を取らないといけないと思っている。 生きるたびに、責任が増えていく。生きるたびに、嫌なことが増えていく。生きるたびに、この社会がクソなことを知っていく 何も知らないままで生きることができれば、幸せだっただろう。でも、僕は、「幸せ」「不幸せ」で人生の生きる基準を選んでいない。「不幸せ」で「苦労」しても、色んなことを知って、色んなことを変えて、そして時には人が見えない景色を見れたり、人ができないことをしたり、そんな人生を歩みたいと思っている。 はっきり言って、僕は、20歳の時に会いたいような人にはみんな会えた。その人たちと仕事をしたり、その人たちとご飯に行けるようになった。その意味で、僕は、もう、これからの人生はお釣りだと思っている。もちろん、死にたくはない。でも、もし、死んだとしても、神様には、こういうだろう。「幸せな人生を、ありがとうございました。」 僕の家族(社員)には自殺を試みた人間が多くいる。そして手前味噌ながら、その辺の甘ったれた人間の1000倍、素晴らしい仕事をする。 僕は、はやく彼らに経済的な安定を与えたい。(今のところ僕が彼らに報いることができるものがそれしか見当たらないからだ。)僕の本当に唯一悪いところは、お金にだらしないところだ。優先順位がつけられないところだ。まずは、自分と自分の仲間を守らなければならない。もちろん、社会や苦しい人たちを助けるのは大事だ。でも、僕は、自分の大事な、それこそ、自分のために命を捨てる覚悟でついてきてくれる家族(社員)たちを、まずは幸せにしないといけない。 本当は、このアカウントで、社会の苦しむ人たちの話をひとりひとり聞きたかったし、中には、僕の家族(社員)になってもらう人も見つけたかった。でも、それはいったん、おやすみだ。 来月からアカウントの更新が難しくなるかもしれないから、一応書いておく。まったく、LINEさん、命を救っているんだから、無料にしてよ。 このLINEは一時的にはSTOPするかもしれないけど、必ず再開するから、それまでみんな、生きててね。 ) 2024年5月30日 17分59秒
2024年5月26日
にゃーん (人間語・日本語訳訳 ミャンマーのお祭りに行ってきた。https://myanmarfestival.org/ ミャンマーは、日本と歴史の深い国である。ミャンマーは、日本を、色々と助けてくれた。 それについて、日本の要人は、ミャンマーの要人に、ありがとうございますとと言った。それに対して、ミャンマーの要人、アウン・サン・スーチーさんはこうこたえた。「それは違いますよ」彼女は言った。「ミャンマーと日本は友人です。何かをしてもらったから返すのではなく、困っているときはいつでもお互い助け合いましょう」 だから、ミャンマーと日本は、「助け合い」の関係だ。 しかし、私は思う。ミャンマーと日本は、「学び合い」の関係であるとも。 ミャンマーの人は、会社ですぐに休みを取るらしい。だから、困った会社の人間がどうしてそんなに休みが多いか、調べたらしい。 すると、その理由の多くが「友だちを助けるため」だったそうだ。 会社での自分の評価よりも、大事な友だちを優先する。つまり、ミャンマーの人は、友達思いで、とても優しいのだ。 僕が思うに「優しさ」が実現するには、次の二つが同時に成立する必要がある。 1 、助けてほしい人が「助けてほしい」あるいは「困っている」と助けを求めること2、助けてあげることのできる人が、それを見過ごさずに「助けてあげる」こと どちらも、今の日本には、少なくなってしまったものだと思う。 日本社会にはびこる孤独という病は、その結果として、日本社会における個体に、うつ病や、その結果としての自殺などをもたらしている。これは、日本社会の抱えている大きな病だと思う。だから、自殺大国日本が、優しさにあふれるミャンマーの人たちから学ばせて頂くことは、多いと思う。 ちなみに、ミャンマー祭りの会場で、ミャンマー料理を食べた。おいしかったので、写真を共有しておく。 ) 2024年5月26日 28分21秒くらい
2024年5月25日
にゃーん (人間語・日本語訳 昨日、会った女の子に土下座をしたら、15万円を貸してもらえた。 その結果、昨日時点で今月中に用意しなければならない残り1万円はクリアーされ、また、私がお金で困るのは、私の人生計画では、これで最後であるので、私の人生のおかるお金のないステージは、無事にクリアーされた。 数か月前から増加していたであろう、私の資金難を描写していたおさんぽ日記は、同情を求める旨の投稿ではなかった旨を、ここに表明したい。また、私の人生計画によれば、私は、天才であると同時に、反省ができる人間であるがゆえ、今回、人生で初めてお金に困り、そして、それゆえ初めて「お金」というものに対する認識を改めることができ、そして、その結果として、お金を稼ぐことを必死で考え、これまでお金を稼ぐことを考えたことのない天才が、初めてお金を産むことを考えた結果、無数のアイデアが浮かんだ。私はそれらのアイデアを、実現可能性と、実現時期と、また、お金だけではない、別の力も得れるという要素などを含めて、総合的に比較検討し、そのいくつかを選んで、実行した。 そのいくつかは、実現がしかかっているため、今後、私がお金に困ることはないであろうことを、ここに記しておきたい。それらのアイデアは、私という天才の産み出した結果、帯びてしまったあまりの天才性により、天才性に必然的に付随する理解不可能性を帯びているため、余人には、「夢物語だね」などと笑われることが多かったが、私は、他人にとっては夢にしか見えないものを現実にすることのできる特殊な能力を持っている、現代史においても類を見ない人物であるため、DreamをTrueにComeしてしまうのだ。 また、私は、そのような嘲笑的な反応を、力の源泉に変換することができるという、非常に効率的な心情構造の持ち主であるがゆえ、そのような嘲笑的な言葉に対しては、むしろ、感謝の念を感じている。 昨日も紹介した、guca owlという人物の『 DIFFICULT』という歌における、以下のフレーズが、まさに私のこの心情を端的に表している。 俺の夢を誰か笑え そうすれば俺はまだ走れる 簡単なことなんてやんねえ 君が裸でも俺なら抱かねえ ちなみに、昨日の日記では書き忘れたが、この曲は、ラブホテルに同意の上で入室し、性交に同意した上で、その前奏として、お互いの好きな曲を流しあうDJをした、非常に綺麗な女性から、教えてもらった。なお、その女性は、あまりにもイカした曲をDJしたため、前奏があまりに長くに及び、肝心の本番である演奏曲である、「性交」の時間が、気づいたら、30分しかないという状況になってしまった。 女性は、性交の同意に至り、お互いが裸になり、また、あとは私が私の体のある部位を彼女の体のある部位に挿入する直前まで至ったが、私は、これまでの人生で、多くの性交を得たがゆえに、現在、性交に対して特殊な態度を取っている私は、女性がむしろ挿入を求めてきたのを断り、唇を噛み締めながら必死に我慢をし、本当は今すぐにでも挿入したいが、あなたのあまりの美しさゆえに、また日を改めて、水族館でデートでもして、食事でもして、しっかりと時間の余裕を持って、性交を致したいという旨を申し出た。 女性は、その提案に対して非常な不満を抱いていたが、私の、魅力的な女性だからこそ、きちんと性交したいのだという必死の訴えかけに何とか理解をして頂き、そして、次回またデートしてくれることを約束し、その日は解散した。 なお、その数日後に、その女性には彼氏ができ、結果として、性交に至らず終わっていることを、ここに付言させて頂く。 私は、彼女が教えてくれた『 DIFFICULT』の歌詞の中の、「君が裸でも俺なら抱かねえ」という、まさにその言葉通りの行動をしたわけであるが、卑しい心根の私の中には、あの時に挿入しなかったことの、後悔の念が満ち満ちている。原宿を歩いていると芸能事務所から必ずスカウトされるような、本当に美しい女性だったのだ。その女性を見れば、私がこのようなとても大きな後悔の念を抱いてしまうことを、きっとご理解頂けると思う。なお、彼女には、お金に困っているからと、20万円を貸与したが、現時点で1円の返済もない。しかし、彼女に教えてもらったguca owlの『 DIFFICULT』という曲の評価額は、20万円を優に超える金額であるため、私は彼女にお金を貸与したことに対しては、後悔はしていない。挿入だけだ、後悔は。 私は、お金というものについて考え尽くした結果、電車に乗るたびに、5円をわざと音を立てて落とし、それを拾ってくれる人間がいるかを観察する遊びをするようになってしまった。意外と、拾ってくれる親切な人が多く、私は、宮台の「社会はクソだ」という主張に少し疑問を抱き始めている。全国各地で、電車の中で5円玉を音を立てて落とし、拾ってくれた人間の割合から、その地域の人間の善意性を定量的に評価し、その地域の特殊性と関連して論じれば、社会学の論文が一本書ける気がする。今度、宮台に提案してみよう。 私は、自分の美学として、自分の力を隠すことを規律として生きているため、そのような、私の天才性、情熱性、行動力を理解できぬ余人が、それら私が同時に合わせ持っていることを、やっと理解した時の、私に対する反応を、楽しみとして生きている。この性癖は、心理学で「試し行為」と言われる要素を多分に含んでいると考えているので、私は、この点において、自身の精神の異常性を自覚している。もちろん、治す気はない。 なお、私は、天才であり、また、同時に仁義の持ち合わせた、数少ない人間であるがゆえ、おそらくはその天才性、並びに仁義を見込んだ人間から、担保なしで、4桁近いお金を借りたり、人からお金を奪うプロであるキャバ嬢という職業の売れっ子の方に、会った初日に意気投合し、借金を申し出て、3桁を即で振り込んでもらったり(しかし、私が貸したことは絶対に秘密にしてほしいという条件が付与された。おそらく、客や、その他、様々な人間関係を考慮した結果の条件であったのだろう)また、知り合って1週間も経っていない女性から、猫のコスプレをして、にゃんにゃんとしろという要求をしぶしぶ飲むことで、その女性の資産のかなりの割合である、相当な金額を借りることができたことをここに記しておく。しかしそれは、私に、深い罪悪感と、責任感をもたらしている。私が失敗することは、即ち、心の美しい彼女の投資の失敗を意味している。そのため、その責任感は、私を強くしている。私の友人である宮台真司が、このようなことを、現代の日本を生きる日本人であれば、必ず読むべき教科書とも言うべき『14歳からの社会学』という名著で、このように表現している。 他人のために動く人間が一番強い。 古代のギリシャや、アテネの英雄たちが強く、現代まで語り継がれる物語となるほどの強さを発揮していたのは、彼らが、損得勘定ではなく、「俺が動かなければ誰がやるんだよ」という責任感とも言うべき感情が理由である。 なお、現代は、「得をするからこの行動をする」「損をするからこの行動をしない」という利他的な人間が増えたため、社会はクソである。 私は、この宮台の言論に、完全に同意している。 損得で生きる人間は、損得の範囲でしか、得られぬのだ。 なお、私は、自らの死という形で、社会を変えようとした、私と同じく天才である三島由紀夫とは違い、死を持って返済をするのではなく、生きて、この天才性が評価されるどこかで働き、なるべく早く返済を終え、返済をし、そしてそこから、また、再チャレンジをすればよいことに気づいた。そのため、生命保険の契約は、取り消しに至った。それゆえ、私は三島由紀夫よりも、天才である。彼の選んだ死という行動は、彼の著作であり、私も好んで呼んでいる「行動学入門」で予言的に暗示されている彼の未来の、まさしく現実世界での文学表現としては評価できるが、現実に社会を良い方向に変えるという点では、評価できない。もし、彼がその意図を持ってそれを行っていたとすれば、私は彼の行動に対して、人生における長期の時間軸という概念で自分がなし得ることのできる社会に対して与えることのできるプラスという当然に持ちうるべき観点の欠如と、そして死ではなく、生きて文筆活動を始めとした天才の天才的な行動により一人の人間の人生という単位で見た時の社会に与えることのできたプラスの総量という観点の欠如、また自己の天才性と、そして同時に付随する行動力の合わさった結果を考えることのできなかった点、そしてまた大衆の愚かさの理解の不足を指摘したい。大衆の認識は、ブラウン管越しの著名な一人の天才の人間の割腹などでは、そうは簡単には変わらぬのだ。歴史学を学べば、そんなことはすぐにわかる。私は、三島由紀夫は、本当は、世間で言われ、また私も同意する天才ではなく、ただの馬鹿であったのではないかもしれぬという疑問を持っている。 その点で、三島由紀夫と交流のあった、石原慎太郎という、芥川賞を受賞した文学者として社会に華々しく登場しながら、その後、政治の世界に転身し、死ぬまで正論を説き続け、最後は東京都知事として、とるべき行動を死ぬまで行い続けた天才を評価したい。何が「行動学入門」であるか。最も行動について誤った選択を取ってその人生を終えた人間が、行動について高尚に論じているのが、馬鹿らしい。私は、三島の「行動学入門」を読み返す度、そのような想いを抱く。ただ、私は、もうしんでしまった彼が、どこかでねこに生まれ変わって、幸せに暮らしていることを祈っている。 私の「しんでねこになる」という名前は、そのような宗教的な性格を帯びた、願望とも言うべき思想から産まれた。私は、死後の世界は信じぬが、死後の世界を信じることで、死前の世界を幸せに生きることができると思っている。現代の日本では、「政治と宗教の話はするな」という馬鹿げた言論がまかり通っているが、まったく間違っていると私は思う。むしろ、政治と宗教の話をしなければならない。すべての物事は最終的には、そのいずれかにたどり着くというのが、「生きる」という宗教を信じて、それに従い行動し、生きている私が、開祖した宗教の、宗旨である。この私を開祖として、今後、社会に広める予定である「生きる」という新興宗教では、自殺という行動に対して、絶対的に否定的である。 天才ではあるが、私ほどの天才ではなかった三島由紀夫、彼のその主張は、正論でしかなかったが、正論をそのまま言っても、通らぬのが、この世である。 愛する人間たちを自死で失ってきた過去の人生経験から、死に近い人間を救うことを、おそらく無意識に自らの責務として課している私は、人の自死は止めるくせに、自らの死については、軽率に考えていた。 […]
2024年5月24日
にゃーん (人間語・日本語訳 今月、あと150万円。これを用意できれば、もうお金は大丈夫だ。おそらく一生、困ることはない。 150万円は、難しいように見えて簡単だ。簡単なように見えて、難しい。 僕は基本的に面倒な交渉はしない。 「貸してください」「お願いします」「土下座」 これだけだ。この半年で、1人から、低くて5000円、多くて千万単位のお金を借りた。 借り方は、いくつかある。1人から、150万円。15人から、10万円(一番現実的)150人から、1万円 最後に言う。お金で苦しむのは今回で最後だ。 うちの会社はうつ病の人間だらけだ。でも、僕は家族(社員)を絶対にクビにしない。半年間何の仕事もしない人間にも、「とにかく休んで」と言って報酬を払い続けていた。 最近、傷病手当金という制度を知った。もう一度言うが、うちの会社はうつ病の人間だらけで、仕事ができない彼女たちの給与を、会社が払い続けていた。 先月、この制度の存在を知り、今月から、この制度を利用させてもらう。来月から会社の支出は100-200万ほど減るだろう。 だから、これが最後だ。 家族(社員)、顧問税理士、顧問弁護士、顧問弁理士には申し訳と思っている。みんな、心配をかけたり、事情を説明して、支払い時期を待ってもらっている。社会保険庁などにも、電話をかけて、何とか延長してもらいないかと、毎月お願いの電話をかけて、対応してもらっている。また、もちろんながら、僕のこんな雑なお願いに、貸してくれた人たち。 金額の多寡はない、いや、多寡はある。100円と1万円では、1万円の方がありがたい。でも、月収1億円の人から借りる数千万円と、月収20万円の人から借りる1万円。その人の僕に対する気持ちは、比べることができない。 そもそも、僕は借りているつもりはない。もちろん、口では「貸してください」とは言っている。しかし、傲慢だが、投資だと思っている。もっと傲慢に言うと「俺に貸せてよかったな」とまで思っている。 なぜなら、絶対に返せる自信があるからだ。僕は、僕なりに正義を実行するために行動しているから、それによって、悪い人間の利権の邪魔をすることになる。だから、僕は、デリートされる可能性が常にある。現に、一度、胸を刺された。今回、僕は、ホストクラブの問題で、本当に大きく走り回った。とはいっても、僕はなくなればいいと思っているのではない。完全になくすというのではなく、今の暴力や脅迫や詐欺みたいなやり方がなくなり、適正なところに落ち着けば、それはゲームセンターのようなもので、歌舞伎町という僕の大好きな街の、ひとつの中心にあるエンターテイメントだと思っている。 だから、今回、僕は、ホストクラブのオーナーさんたちと、政治の方たちとのあいだに入って、僕なりに調整役をしたつもりだ。 しかし、両方にいい顔はできない。これまで、ホストクラブがやってきたことは、本当にひどいことだ。本来なら、すべて廃業にされてもおかしくない。だから、僕は、基本的には、政治の側の人の味方だ。 だって、僕は、今回の問題の前から、そう、三年前から、ホストのオーナーたちとこの話をして「今の状況はおかしいです。バブルです。このままでは、絶対に世間が怒ります。大衆が一番強いんです。何かが起きて世論が怒ってから、そして政治や行政といった外からやらされるより、自分たちで自主規制団体を作った方が、業界の人たちのためにも、いいですよ」と言った。そしてずっと説得していた。実際に、スマートフォン用のゲームの課金(ガチャ)については、依存性が問題になりそうで、社会問題になりそうだからと、業界が自ら自主規制の団体を作った。AVでも、同様の規制団体ができた。AVAN(AV人権倫理機構)だ。その創設に関わり、理事を務められたのが、僕の尊敬する、法社会学者の河合幹雄さんだ。僕は、今回、自主規制団体を作れば、彼に仕組み作りの助言や、理事への就任をお願いしたいと思っていた。河合幹雄さんは、その息子が僕の大親友だ。河合幹雄さんは、日本の社会の闇を本当に色々と知っている。 たとえば?・日本政府が、ある総理大臣の、ある国家への「イエス」という言葉を境に、ヤクザという存在に対する態度を変えたこと・特捜検察という組織が非常に怖い組織であること・名前もつけられていない、人を証拠なくデリート(その名の通り、文字通りデリートする)する組織があること(殺され方や、刃物の入れ方、そういったものは警察の方が調べると思うが、そういったデータを膨大に見ると、そのような組織があることが、状況証拠として、わかる) ここに書けないことも、色々と知っている。(ただ、僕は猫にはなりたくないので、書けない。) 僕は、ホストの売掛自主規制団体を作ろうと動いていた時に河合幹雄さんに理事になってもらおうと思っていた。その息子を通じて、紹介してほしいと何年も言い続けたいた。資料を作って、これを見せてくれと、何度も言っていた。それが去年、やっと実り、河合さんも興味を示し、やっと会ってくれる運びになった。 しかし、その矢先に、急病で亡くなれた。安倍晋三しかり、日本にとって必要な人間ほど、なぜこうも早くいなくなってしまうのか。 ともかく、僕としては、そのように、ホストクラブが健全な形になり、生き残れるために、三年前から動いていたつもりだ。 それでも、結局は、みんな自分の店の利益を一番に考えて、まとまらなかった。いや、僕にまとめる力が不十分だった。なぜなら、まとめることのできた人たちがいたからだ。 去年の夏くらいからの事件や報道を皮切りに、ホストの業界に、政治や非営利団体などから、大きな圧力とメスが入った。 色々な人が尽力してくれたが、特に、参議院議員の塩村あやかさん、僕は彼女に感謝したい。彼女、自ら最も矢面に立ち、時に炎上や誤解を招いてしまうが(僕の考えでは、そのあたりも微妙に計算して、ある程度のバランス感覚でやっておられると思っている。)殺害予告をされるほど自らの身に危険を晒しながら、そして、ホストクラブだけではない、色んな問題にも同時に取り組んでおられるんだろう。お体が、とても細い。(女性的な美醜の意味ではない。)一度、食事を取る時間もままならないとおっしゃっておられた。あと、僕は個人的にも塩村さんのことが好きだ。これは書いたら怒られちゃうかな。あのちょっといじわるっぽいにっこりした性格の悪そうな笑顔が僕みたいで、好きだ。あと、女性としても、お美しくて、好きだ。(うう、こんなことを書いたら怒られるかもしれない、怖い☞こわねこ。) 僕は、塩村先生のことが好きだ。(塩村先生を陰から支えておられる先生がおられるのだが、ここではその名前は伏せる。そして、その先生のことも、僕は好きだ。彼は、ホストの被害の話を説明すると、毎回顔をしかめるようにして悲しむ。本当に、ひどい話をするたび、するたびに、辛そうな顔をする。 最初は、「どうせイメージ作りだろ」と思っていた。しかし、違った。僕は、言葉ではなく、行動で人を信用する。彼は、行動で、本当にホストクラブを許せないと思い、また、困った女の子たちに手を差し伸べてくれた。具体的にエピソードを書くとご迷惑になるので、控えるが、彼は、僕の大事にしている女の子のために、まさにあの12月の自民党の裏金問題の真っ只中、党として1分1秒惜しい中で、僕の友人の困った女性について、動いてくれた。何の票にもならないのに。(なるとしたら、僕と、その被害女性、二人だけだな笑)だから、その先生には最初の疑いを謝りたい。そしてまた、僕は、お世辞ではあると思うが、彼に「あなたの高い志と優しさに感動しました。」と言われたこと、そして、サインをもらったこと。 彼は僕がサインを求めると、力強く、まさに僕のためにと、文言を考えながら、僕にサインをくれた。僕は、とても嬉しかった。僕は、塩村さんにもサインを求めた。塩村さんは最初は突然のお願いに少し困っていらっしゃった。でも、その先生が「塩村くん、書いてあげなさい」と言って、塩村さんも、書いてくれた。 僕はそのサインを、誰にも見せないが、自分の部屋の壁の一面に飾って、諦めそうになった時、負けそうになった時、つらい時、自信がなくなった時、そんな時に、その壁を見上げて、彼らのことを思い出して、彼らのような本当に自らを犠牲にして国のために、困った人たちのために必死に動いてくれている人たちがいることを思い、自分の矮小さと、至らなさ、小ささを実感し、同時に、「この程度のことで、何を負けそうになっているんだ?あの人たちのことを思えよ」と自ら自らに鞭を打ち、励むようにしている。 他にも僕の部屋の壁には、尊敬する人たちのサインが飾ってあるが、投げ出しそうになった時、諦めたくなった時、何もかもが嫌になりそうな時、そしてまた、自分が壊れそうになった時(そういうのが、もう、自分でわかるようになってしまった。)その壁を見上げて、唇を噛んで、脳を「戦闘」モードに戻す。 そう、これはクソ社会との戦いなのだ。 話が長くなった。(いつもの僕の、悪い癖。) […]