Pas d'image
未分類

「助けて、もう、怖いの」 何が?僕はパスタを食べながら片手間にその電話に答える。メンヘラには片手間、それがしんでなねこになるのポリシー。その方が、みんなしんでねこにならない。ぼくもしんでねこにならない(そもそもしんでもねこにはならないんだけどね。) 「あのね、もうね、犯罪とかね、脱税とかね、叩かれたりね、ホストとか、売掛とか、もうね、怖いの。もう、まい、怖いの。お願い。助けて。」 片手間に食べ終わりきらぬパスタを残したまま、席を立ち、片手間では済ませられぬ彼女の助けを、両の手でスマホで耳に当て、僕は、こう答えた。 「やっと、わかったんだね。」 「うん、わかった。わかったから。お願い。お願いりお願い。ねえ、怖いの、ねえ、怖いの、怖い、怖い、怖い。怖い。ねえ、お願い。まい怖い。助けて」 片手でリュックを持ち上げて、会計を済ませた僕は、片手で会計を済ませながら、両の手を、いや、三の手も、四の手も、色んな人の手を借りても救いきれなかった彼女のために、その店を後にした。 人は、自分が変わろうと本気で思わないと変わらない。 これが僕の考えだ。 僕は、彼女に才能を感じて、何年も説得していた。 これが僕の努力だ。 彼女は、僕を信じて、ついには頼ってくれた。 これが彼女の勇気だ。 彼女は、更生を果たし、僕の見立て通り、荒削りながらも才能のほとばしる文章を世に出し、人としての正しい道を歩み始めたところで、過去に間違った道を歩いたことで、堀の中に入った。 これが彼女の現在だ。 渡辺真衣こと、頂き女子りりちゃんの、現在だ。 僕がこれから書く話は、すべて本当の話だ。 警察の方の捜査の不都合にならぬよう、あえて語らぬ部分はあれど、また、関係者に迷惑をかけないよう、あえて偽名を使う部分はあれど、また、余計な罪を増やさぬよう、あえて文学というものの力を借りた箇所はあえど、すべてが真実だ。 僕は、彼女を最も知る人物の一人として、これから、彼女について語る。しかし、それは、彼女を語ると同時に、この時代を語ることでもある。それがこの文章を書く動機だ。そして、それが、彼女に両手を差し伸べていた動機でも、あった。 留置所にいる彼女は加害者ではある。しかし同時に、僕は、社会による被害者であるとも思う。だから僕は、ここに、加害者である、社会について、その悪を暴こうと思う。 本当なら、僕は、違う結末を望んでいた。 加害者ではあるが、社会の被害者という意味で、誰もがなり得る存在であった彼女が、過去を反省し、そしてその努力により、すばらしい作品を作り、表舞台で成功することは、この闇に覆われた社会の中で、ひとつの灯台になると思ったのである。 もちろん、どんなに明るくとも、たった一本の灯台が、海のすべてを照らせるわけではない。しかし、たった一本でも、煌々と輝く灯台は、その灯台を目指して、家庭内での孤立や、クラスでの孤立、居場所のなさ、自己肯定感の低さ、ホストへの依存、そうした社会の海に溺れるたくさんの女の子たちにとって、目指すべき、希望の灯台になれると思ったのだ。 もちろん、その灯台にたどりつけず、溺れて死ぬ子もいるだろう。むしろ、多くの子が、溺れて死ぬだろう。しかし、その灯台が、一本でもあることで、暗い海をさまよう女の子たちにとって、たとえ最後は溺れることになっても、その深い暗い海の中、息絶える最後まで、その灯は、その暗い水で息絶える寸前まで希望の灯りとして、ともっているだろう。 しかし、残念ながら、その渡辺麻衣という名の灯台は、建設途中でついえてしまった。しかし、せめてその途中まで建てようとした、その記録を僕はここに記したい。 いや、僕たちは彼女に簡単な地図を渡しただけだ。自らの強い意志で、悪を断ち切り、依存から脱却し、自ら灯台となろうとした、その彼女の軌跡を、僕は、ここに記したい。 過去にした詐欺で逮捕された彼女が、護送車の中で祈るように手を合わせていたように、この記事が、彼女と同じく苦しみの中にいる誰かの救いとなることを、僕は祈る。 それでは、渡辺真衣、頂き女子、りりちゃんの話を、はじめる。

Pas d'image
未分類

BOX

【BOX】 その国では、少女が16歳になると、政府から手紙が家に届く。 「BOXになりませんか?」 政府は言う、 「2年間BOXになれば、100万ドル(どこの国の話かを隠すため、アメリカの通貨基準で表記しています。今後も同様)。BOXが終了すると、BOXにいた記憶はすべて消去されもしあなたがBOXにいたことを誰かが口にすれば、私たちは法律と証拠に基づいてその人物を削除します。 私たちはエリートです。(筆者注:削除に関するエリート) BOXを修了した者には高校卒業資格が与えられ、就職に必要なその他の国の規制はすべて免除される。」 手紙を持って役所に行くと、BOXセクションに案内される。そこで面接が行われる。この面接に合格すると、各地にあるBOX機関の試験本部に行くことになる。(通常、街の飲食店やカラオケ店などを装う)。 一定の基準で特に貴重なBOXになる可能性があると判断された場合、さらに首都圏のBOX庁で審査が行われる。 その際、再度面接と血液検査が行われます。 合否の結果は後日電話で通知される。 BOXになることを決めた女性は、両親にBOXになることを告げる。BOX法では、BOXになることを決意させるような説得は禁止されており、最高で無期懲役となる。(たとえ両親であっても)。 女性がBOXになることに同意すると、BOX庁がBOXの日程を決める。 しかし、BOX法では、BOXになるまでに1ヶ月の猶予期間があり、契約が決まってから実際にBOXになるまでに4ヶ月の猶予期間がある。この規定は、当時の与党が人道的見地から自主的に法案に盛り込んだものだ。過去に同様の法案を働きかけ、効果的に機能したからだ。 BOX当日、BOXとなる女性は事前にBOX代行業者から送られてきた薬を飲み、ベッドに横になる。約15分から30分後、女性は意識を失い、眠りにつく。(この後のことは書かない。ただし、すべて法律に基づいて国が合法的に行う) すべてはそこで終わる。 意識を取り戻したとき、彼女は同じベッドで目を覚ましていた。少し疲れているような気がするが、気のせいだ。そう、気のせいであり、何も失われてはいない。そこには、薬を飲んだ後に寝たのと同じベッドがあった。 彼女が目を覚ましたことに気づいた両親は、駆け寄り、泣きながら彼女を抱きしめた。(どうして泣いているの?) 女性がBOXから戻って口座を見ると、口座残高に100万円が追加されている。 これがBOXだ。 誰も…注意事項 ここから先は読まないでください。 ここから先は読まないでください】。 この続きは読まないでください。この小説は小説ではないのではないかという疑念が、あなたをいつまでもつきまとうからです。 そしてどうすることもできない】。 私が言えるのはこれだけだ。 –人生は美しいと思いませんか?人生は美しいと思う。 そう、リル・ピープの死は自殺とされたが、本当は殺されたのだ。この美しい世界が彼を殺したんだ。なんて素晴らしい真実なんだろう! それでも世界が美しいと思うなら、1.10ドルを払って記事の続きを読もう。 この先を読もうとする愚か者のために、1.10ドル払ってこの先を読むページはこちら。1.10ドル払うページはこちら】。 注意:アメリカの電話番号911は、日本では110番です。身の危険を感じたら、すぐに警察を呼びましょう】。 注2:警察では解決できないと思います。 注3:この問題を解決できる国家や組織を私は知りません。この記事の続きをお読みの方で、わかる方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんか? 注意事項 ここから先は読まないでください。 […]

Pas d'image
未分類

2024年5月30日

にゃん (人間語・日本語訳 このアカウントは思いつきではじめた。 僕は「自殺」を絶対的に否定している。 「自殺」から救い、そしてその救った「誰か」を僕の強くて裏切らない仲間とする計画を、ぼんやり考えていた。 「自殺」とは「他殺」である。それは、社会が殺したという意味で「他殺」であるし、また、自分が自分を「殺す」という意味でも「他殺」である。自分を「殺す」ことは、とても勇気のいる行為だ。僕は、たまに死にたいと思うが、その勇気がないので、できない。だから、自分で自分を「殺す」ことのできる人はすごいと思う。 いや、君に自殺をしてほしいわけじゃない。本当にやめてほしい。 こんなことを言ったら怒られるだろうか、死んでほしいと思う人がいる。しかし、そういう人間ほど、他人を苦しめてのうのうと生きるのがこの世界だ。逆に、まっすぐで、やさしくて、純粋で、まじめで、そんな人間ほど、苦しめられて死を選ぶのがこの世界だ。 だから、だから僕は君に「自殺」をやめてほしい。君は何もなしに「自殺」なんてするわけがないんだ。君は、絶対に誰かに「殺された」んだ。だから僕は、君を殺した誰かを見つけて、そいつをとっちめたい。 僕の周りで自殺した人間は、そんな人間ばかりだ。死ぬべき人間がのうのうと生き、生きるべき人間が苦しんで死ぬ、あるいは苦しみの夜を過ごす。僕が苦しいのは、この、矛盾した世界のシステムに、僕自身が加担しているからだ。 救おうとしたつもりが、救えなかったり。助けたつもりが、助けてなかったり。そんなことが何度もあった。 「あの時、会わなかったらよかったね」「あの時、君の会社に入らなかったらよかったね」 こんなセリフを言わせてしまった僕は、自分を一番殺したい。 僕を愛してくれたある女の子は、彼女が売春をせず、そして、自殺をせず、そして、ホストにも通わず、そう諭した。ホストクラブにも乗り込んだし、メディアも使ってそのホストたちのことも記事にしたし(示談しないと本名とその記事がリンクするというトラップを仕込んだ。)弁護士も僕の盟友についてもらったし、そしてまた、ここには書けない色々なこともあった。彼女はホストに通うことをやめた。 僕は、彼女に文章の才能を見出していたから、何かそんな仕事をさせようと思った。才能は、埋もれているのだ。埋もれている才能を発掘するのが、僕の趣味だ。僕の会社に入った後、彼は、自殺未遂を繰り返し、自傷を繰り返した。ホストに通っていた時よりも、彼女の体には傷が増えてしまった。しまいには、SNSに僕の本名や色んなことを書き、自殺未遂を図った。それを見た別の家族(社員)の鬼電で僕は飛び起きて、彼女を助けに行った。睡眠薬を飲んでふらふらの僕を前に、その僕に包丁を突き付けながら、彼女はこう言っていたらしい。 「なあ、こいつ、ふらふらなんだけど。ははは、なあ、こいつやっちゃっていい?こいつ、やっちゃっていい?」 僕は、サイレースが効いていたから(サイレースは、効いているとお酒を飲んだ時のような酩酊状態になる。また、記憶がなくなる。)その時のことを覚えていない。 後から、部下にその話を聞いて、僕は笑った。「自殺未遂を止めに行って、殺されかけるなんて、面白過ぎるじゃん(笑)」たしかに、帰り道、床に血のついた包丁が落ちていた。僕の首筋には、かすれた傷がある。(あと数センチズレていたら、危なかっただろう。) 僕は彼女を恨んではいない。彼女は翌日、僕に謝りつくしてきた。警察の人を呼んで、前後の流れを知らない警察の人は、僕がただの悪い男かどうかわからないから、毎日彼女の家に、安否の確認をしにいっていたらしい。(その日、彼女は遅くまで連絡が返ってこなかったのだ。心配になった僕は、合いかぎがあるからといって、勝手に彼女の家に入ってまた面倒になっても嫌だなと、警察署に行って事情を話して、心配だから入ってもいいかと確認を取った。警察の人は言った。「ああ、もう私たちがいって、安否は確認していますよ。」) そのままだと、警察の人も心配で、毎日彼女の家に安否の確認に行くだろう。そう思って、僕は彼女に二人で警察署に謝りに行こうと言った。待ち合わせ場所で、僕は言った。「お、あぶね、包丁もってきてないよな?あぶね~」彼女は、笑って、少し怒って、そして、笑った。 彼女はここには書けないある事情から、僕の会社で働くことができなくなった。結論から書くと「彼女に必要なのは、仕事ではなく治療です。」まさしく、その通りだと思った。僕は、焦り過ぎていたのだ。まずは、彼女の心の病の治療だった。その過程で、彼女が売春することや、ホストに通うことは二の次だったかもしれない。いっぺんに解決しようと、環境を一気に変えたことが、彼女に重いストレスを与えてしまったんだろう。 結果がすべてだ。彼女は、売春をして、ホストに通っていた時よりも、体につけた自傷痕が増えてしまった。 彼女とは、たまにラインする。「元気?」「うん、元気」いつもは、その程度。 でも、たまに、深夜に爆発的に愛のメッセージが炸裂して、朝にはそれが消えている。僕は、彼女に何もしていない。むしろ、金銭的、労力的な面で言えば、損しかしていない。しかし、彼女をこうしてしまったのは僕の責任だから、僕は彼女の人生に責任を取らないといけないと思っている。 生きるたびに、責任が増えていく。生きるたびに、嫌なことが増えていく。生きるたびに、この社会がクソなことを知っていく 何も知らないままで生きることができれば、幸せだっただろう。でも、僕は、「幸せ」「不幸せ」で人生の生きる基準を選んでいない。「不幸せ」で「苦労」しても、色んなことを知って、色んなことを変えて、そして時には人が見えない景色を見れたり、人ができないことをしたり、そんな人生を歩みたいと思っている。 はっきり言って、僕は、20歳の時に会いたいような人にはみんな会えた。その人たちと仕事をしたり、その人たちとご飯に行けるようになった。その意味で、僕は、もう、これからの人生はお釣りだと思っている。もちろん、死にたくはない。でも、もし、死んだとしても、神様には、こういうだろう。「幸せな人生を、ありがとうございました。」 僕の家族(社員)には自殺を試みた人間が多くいる。そして手前味噌ながら、その辺の甘ったれた人間の1000倍、素晴らしい仕事をする。 僕は、はやく彼らに経済的な安定を与えたい。(今のところ僕が彼らに報いることができるものがそれしか見当たらないからだ。)僕の本当に唯一悪いところは、お金にだらしないところだ。優先順位がつけられないところだ。まずは、自分と自分の仲間を守らなければならない。もちろん、社会や苦しい人たちを助けるのは大事だ。でも、僕は、自分の大事な、それこそ、自分のために命を捨てる覚悟でついてきてくれる家族(社員)たちを、まずは幸せにしないといけない。 本当は、このアカウントで、社会の苦しむ人たちの話をひとりひとり聞きたかったし、中には、僕の家族(社員)になってもらう人も見つけたかった。でも、それはいったん、おやすみだ。 来月からアカウントの更新が難しくなるかもしれないから、一応書いておく。まったく、LINEさん、命を救っているんだから、無料にしてよ。 このLINEは一時的にはSTOPするかもしれないけど、必ず再開するから、それまでみんな、生きててね。 ) 2024年5月30日 17分59秒

Pas d'image
未分類

2024年5月26日

にゃーん (人間語・日本語訳訳 ミャンマーのお祭りに行ってきた。https://myanmarfestival.org/ ミャンマーは、日本と歴史の深い国である。ミャンマーは、日本を、色々と助けてくれた。 それについて、日本の要人は、ミャンマーの要人に、ありがとうございますとと言った。それに対して、ミャンマーの要人、アウン・サン・スーチーさんはこうこたえた。「それは違いますよ」彼女は言った。「ミャンマーと日本は友人です。何かをしてもらったから返すのではなく、困っているときはいつでもお互い助け合いましょう」 だから、ミャンマーと日本は、「助け合い」の関係だ。 しかし、私は思う。ミャンマーと日本は、「学び合い」の関係であるとも。 ミャンマーの人は、会社ですぐに休みを取るらしい。だから、困った会社の人間がどうしてそんなに休みが多いか、調べたらしい。 すると、その理由の多くが「友だちを助けるため」だったそうだ。 会社での自分の評価よりも、大事な友だちを優先する。つまり、ミャンマーの人は、友達思いで、とても優しいのだ。 僕が思うに「優しさ」が実現するには、次の二つが同時に成立する必要がある。 1 、助けてほしい人が「助けてほしい」あるいは「困っている」と助けを求めること2、助けてあげることのできる人が、それを見過ごさずに「助けてあげる」こと どちらも、今の日本には、少なくなってしまったものだと思う。 日本社会にはびこる孤独という病は、その結果として、日本社会における個体に、うつ病や、その結果としての自殺などをもたらしている。これは、日本社会の抱えている大きな病だと思う。だから、自殺大国日本が、優しさにあふれるミャンマーの人たちから学ばせて頂くことは、多いと思う。 ちなみに、ミャンマー祭りの会場で、ミャンマー料理を食べた。おいしかったので、写真を共有しておく。 ) 2024年5月26日 28分21秒くらい

Pas d'image
未分類

2024年5月25日

にゃーん (人間語・日本語訳 昨日、会った女の子に土下座をしたら、15万円を貸してもらえた。 その結果、昨日時点で今月中に用意しなければならない残り1万円はクリアーされ、また、私がお金で困るのは、私の人生計画では、これで最後であるので、私の人生のおかるお金のないステージは、無事にクリアーされた。 数か月前から増加していたであろう、私の資金難を描写していたおさんぽ日記は、同情を求める旨の投稿ではなかった旨を、ここに表明したい。また、私の人生計画によれば、私は、天才であると同時に、反省ができる人間であるがゆえ、今回、人生で初めてお金に困り、そして、それゆえ初めて「お金」というものに対する認識を改めることができ、そして、その結果として、お金を稼ぐことを必死で考え、これまでお金を稼ぐことを考えたことのない天才が、初めてお金を産むことを考えた結果、無数のアイデアが浮かんだ。私はそれらのアイデアを、実現可能性と、実現時期と、また、お金だけではない、別の力も得れるという要素などを含めて、総合的に比較検討し、そのいくつかを選んで、実行した。 そのいくつかは、実現がしかかっているため、今後、私がお金に困ることはないであろうことを、ここに記しておきたい。それらのアイデアは、私という天才の産み出した結果、帯びてしまったあまりの天才性により、天才性に必然的に付随する理解不可能性を帯びているため、余人には、「夢物語だね」などと笑われることが多かったが、私は、他人にとっては夢にしか見えないものを現実にすることのできる特殊な能力を持っている、現代史においても類を見ない人物であるため、DreamをTrueにComeしてしまうのだ。 また、私は、そのような嘲笑的な反応を、力の源泉に変換することができるという、非常に効率的な心情構造の持ち主であるがゆえ、そのような嘲笑的な言葉に対しては、むしろ、感謝の念を感じている。 昨日も紹介した、guca owlという人物の『 DIFFICULT』という歌における、以下のフレーズが、まさに私のこの心情を端的に表している。 俺の夢を誰か笑え そうすれば俺はまだ走れる 簡単なことなんてやんねえ 君が裸でも俺なら抱かねえ ちなみに、昨日の日記では書き忘れたが、この曲は、ラブホテルに同意の上で入室し、性交に同意した上で、その前奏として、お互いの好きな曲を流しあうDJをした、非常に綺麗な女性から、教えてもらった。なお、その女性は、あまりにもイカした曲をDJしたため、前奏があまりに長くに及び、肝心の本番である演奏曲である、「性交」の時間が、気づいたら、30分しかないという状況になってしまった。 女性は、性交の同意に至り、お互いが裸になり、また、あとは私が私の体のある部位を彼女の体のある部位に挿入する直前まで至ったが、私は、これまでの人生で、多くの性交を得たがゆえに、現在、性交に対して特殊な態度を取っている私は、女性がむしろ挿入を求めてきたのを断り、唇を噛み締めながら必死に我慢をし、本当は今すぐにでも挿入したいが、あなたのあまりの美しさゆえに、また日を改めて、水族館でデートでもして、食事でもして、しっかりと時間の余裕を持って、性交を致したいという旨を申し出た。 女性は、その提案に対して非常な不満を抱いていたが、私の、魅力的な女性だからこそ、きちんと性交したいのだという必死の訴えかけに何とか理解をして頂き、そして、次回またデートしてくれることを約束し、その日は解散した。 なお、その数日後に、その女性には彼氏ができ、結果として、性交に至らず終わっていることを、ここに付言させて頂く。 私は、彼女が教えてくれた『 DIFFICULT』の歌詞の中の、「君が裸でも俺なら抱かねえ」という、まさにその言葉通りの行動をしたわけであるが、卑しい心根の私の中には、あの時に挿入しなかったことの、後悔の念が満ち満ちている。原宿を歩いていると芸能事務所から必ずスカウトされるような、本当に美しい女性だったのだ。その女性を見れば、私がこのようなとても大きな後悔の念を抱いてしまうことを、きっとご理解頂けると思う。なお、彼女には、お金に困っているからと、20万円を貸与したが、現時点で1円の返済もない。しかし、彼女に教えてもらったguca owlの『 DIFFICULT』という曲の評価額は、20万円を優に超える金額であるため、私は彼女にお金を貸与したことに対しては、後悔はしていない。挿入だけだ、後悔は。 私は、お金というものについて考え尽くした結果、電車に乗るたびに、5円をわざと音を立てて落とし、それを拾ってくれる人間がいるかを観察する遊びをするようになってしまった。意外と、拾ってくれる親切な人が多く、私は、宮台の「社会はクソだ」という主張に少し疑問を抱き始めている。全国各地で、電車の中で5円玉を音を立てて落とし、拾ってくれた人間の割合から、その地域の人間の善意性を定量的に評価し、その地域の特殊性と関連して論じれば、社会学の論文が一本書ける気がする。今度、宮台に提案してみよう。 私は、自分の美学として、自分の力を隠すことを規律として生きているため、そのような、私の天才性、情熱性、行動力を理解できぬ余人が、それら私が同時に合わせ持っていることを、やっと理解した時の、私に対する反応を、楽しみとして生きている。この性癖は、心理学で「試し行為」と言われる要素を多分に含んでいると考えているので、私は、この点において、自身の精神の異常性を自覚している。もちろん、治す気はない。 なお、私は、天才であり、また、同時に仁義の持ち合わせた、数少ない人間であるがゆえ、おそらくはその天才性、並びに仁義を見込んだ人間から、担保なしで、4桁近いお金を借りたり、人からお金を奪うプロであるキャバ嬢という職業の売れっ子の方に、会った初日に意気投合し、借金を申し出て、3桁を即で振り込んでもらったり(しかし、私が貸したことは絶対に秘密にしてほしいという条件が付与された。おそらく、客や、その他、様々な人間関係を考慮した結果の条件であったのだろう)また、知り合って1週間も経っていない女性から、猫のコスプレをして、にゃんにゃんとしろという要求をしぶしぶ飲むことで、その女性の資産のかなりの割合である、相当な金額を借りることができたことをここに記しておく。しかしそれは、私に、深い罪悪感と、責任感をもたらしている。私が失敗することは、即ち、心の美しい彼女の投資の失敗を意味している。そのため、その責任感は、私を強くしている。私の友人である宮台真司が、このようなことを、現代の日本を生きる日本人であれば、必ず読むべき教科書とも言うべき『14歳からの社会学』という名著で、このように表現している。 他人のために動く人間が一番強い。 古代のギリシャや、アテネの英雄たちが強く、現代まで語り継がれる物語となるほどの強さを発揮していたのは、彼らが、損得勘定ではなく、「俺が動かなければ誰がやるんだよ」という責任感とも言うべき感情が理由である。 なお、現代は、「得をするからこの行動をする」「損をするからこの行動をしない」という利他的な人間が増えたため、社会はクソである。 私は、この宮台の言論に、完全に同意している。 損得で生きる人間は、損得の範囲でしか、得られぬのだ。 なお、私は、自らの死という形で、社会を変えようとした、私と同じく天才である三島由紀夫とは違い、死を持って返済をするのではなく、生きて、この天才性が評価されるどこかで働き、なるべく早く返済を終え、返済をし、そしてそこから、また、再チャレンジをすればよいことに気づいた。そのため、生命保険の契約は、取り消しに至った。それゆえ、私は三島由紀夫よりも、天才である。彼の選んだ死という行動は、彼の著作であり、私も好んで呼んでいる「行動学入門」で予言的に暗示されている彼の未来の、まさしく現実世界での文学表現としては評価できるが、現実に社会を良い方向に変えるという点では、評価できない。もし、彼がその意図を持ってそれを行っていたとすれば、私は彼の行動に対して、人生における長期の時間軸という概念で自分がなし得ることのできる社会に対して与えることのできるプラスという当然に持ちうるべき観点の欠如と、そして死ではなく、生きて文筆活動を始めとした天才の天才的な行動により一人の人間の人生という単位で見た時の社会に与えることのできたプラスの総量という観点の欠如、また自己の天才性と、そして同時に付随する行動力の合わさった結果を考えることのできなかった点、そしてまた大衆の愚かさの理解の不足を指摘したい。大衆の認識は、ブラウン管越しの著名な一人の天才の人間の割腹などでは、そうは簡単には変わらぬのだ。歴史学を学べば、そんなことはすぐにわかる。私は、三島由紀夫は、本当は、世間で言われ、また私も同意する天才ではなく、ただの馬鹿であったのではないかもしれぬという疑問を持っている。 その点で、三島由紀夫と交流のあった、石原慎太郎という、芥川賞を受賞した文学者として社会に華々しく登場しながら、その後、政治の世界に転身し、死ぬまで正論を説き続け、最後は東京都知事として、とるべき行動を死ぬまで行い続けた天才を評価したい。何が「行動学入門」であるか。最も行動について誤った選択を取ってその人生を終えた人間が、行動について高尚に論じているのが、馬鹿らしい。私は、三島の「行動学入門」を読み返す度、そのような想いを抱く。ただ、私は、もうしんでしまった彼が、どこかでねこに生まれ変わって、幸せに暮らしていることを祈っている。 私の「しんでねこになる」という名前は、そのような宗教的な性格を帯びた、願望とも言うべき思想から産まれた。私は、死後の世界は信じぬが、死後の世界を信じることで、死前の世界を幸せに生きることができると思っている。現代の日本では、「政治と宗教の話はするな」という馬鹿げた言論がまかり通っているが、まったく間違っていると私は思う。むしろ、政治と宗教の話をしなければならない。すべての物事は最終的には、そのいずれかにたどり着くというのが、「生きる」という宗教を信じて、それに従い行動し、生きている私が、開祖した宗教の、宗旨である。この私を開祖として、今後、社会に広める予定である「生きる」という新興宗教では、自殺という行動に対して、絶対的に否定的である。 天才ではあるが、私ほどの天才ではなかった三島由紀夫、彼のその主張は、正論でしかなかったが、正論をそのまま言っても、通らぬのが、この世である。 愛する人間たちを自死で失ってきた過去の人生経験から、死に近い人間を救うことを、おそらく無意識に自らの責務として課している私は、人の自死は止めるくせに、自らの死については、軽率に考えていた。 […]