2024/05/11 20:23

にゃーん

(人間語・日本語訳

昨日の日記を思い出した。
イーロンマスクからリプライをもらったくらいで、さも世界をとったかのようにはしゃいでいて、恥ずかしくなった。

らいんのわるいとこ

おくったものをけせないとこ

まあ、いいところでもあるんだけどさ

でもまあ、あの僕の長大な文章を、世界で一番のお金持ちが時間をかけて読んだということは、まあまあ面白い(全部ちゃんと読むとたぶん20分はゆうにかかるだろう。時給換算でいくらだよ。)

僕は文章も長いが、話もとても長い。
それでいつも友人や家族(社員)を困らせるし、偉い人にも話し込んでしまう(そういう時はだいたい、偉い人のまわりのお付きの人みたいな人にひきはがされる

「きみ!話しすぎ!あの場にいたみんなあの人と話したかったんだからね!」
(←初めて会った偉い人と、1時間半近く話し込んだときに言われた言葉。

その偉い人はこのLINEを見ているからここでその人に向けたメッセージを書く。
【みんな、ちょっと待ってねね】

あの時は、いっぱい喋って時間を取らせてしまってごめんなさい。でも伝えたいことがいっぱいあったんです。でも、僕のバカみたいに長い話をちゃんと聞いて、僕の矛盾しているところや、痛いところを的確についたりしてくれて、ありがとうございます。僕は人に話してばかりなので「話を聞く力」のようなものを今思い返して、あなたからすごく感じました。僕も身につけたいと思います。
また沢山お話聞いてください!)

「もう!あんた!また長いんだから!」

これまで色んな偉い人の時間を奪ってきたけど(そう、僕はお金は盗まないけど、時間は奪うのさ。じかんうばいねこ。)時給換算ではいちばん時間をうばったんじゃないだろうか。

でもこういうアプローチはひとつの方法なんだと思う。

田原総一郎さんが駆け出しの頃、政治家か官僚だかの家の前に貼って、意見を求めたり、幻冬社の見城さんが石原慎太郎と初めて会った時にその場で彼のデビュー作「太陽の季節」を暗唱して見せて石原さんに「もういい、わかった。お前とは仕事をするよ」と言わせた話。

これは、誰にでもできる話だ。
才能なんていらない。
必要なのは、熱量だけ。

僕も、これに近いやり方や、これ以外のやり方で、色んな人と繋がってきた。

もちろん、敬意と礼儀は必要だ。
たとえば相手が作家や学者なら、その人の過去の本はほとんど読んで、その上で、なぜあなたが、自分と繋がらなければならないのか、あるいは、自分のやろうとしている企画(プロジェクト)に必要なのか、それが、社会的にどういう影響を及ぼすのか、これを、口頭でもしくは文章で伝える。

偉い人や有名な人も、意外とメッセージやメールは見ている。また、直接連絡を取れなくても、関係者にアタックしたり、本を発売していたら編集部に電話して担当編集を通じて手紙だけでも渡したり、やりようはいくらでもある。

熱量は、そのものが、価値がある。

そういう意味で、みんな、もっと熱量を持って好きなものにぶつかるといいのにのと思う。

こういうことをやる人は、僕の体感では少ない。というか、ほとんどいない。

少し大きな話になるが、僕は日本をある良い方向に変えようと思って、色々考えた末に、ある場所に行ってある人に話をしようと思った。
僕はそれを実行した。
「今までにこういう申し出をした人はいましたか?」
「あなたが初めてです。あなたは面白いですね。」

そう、みんなしていない。
だから君が熱量を持って当たれば、意外と道は開けるよ。

ちなみに、こういう感じである場所に行って、ある人にある話を聞いた。

ここに来たことのある歴代の総理は誰がいますか?

彼は答えた。

田中角栄
小泉純一郎
安倍晋三

僕はその三人を、概ね尊敬している。特に田中角栄と安倍晋三。

「概ね」というのは、彼らのすべての政策に賛成ではないからだ。もちろん、したい政策だけをすることができるのが政治家でないことは百も承知で、その上で、「概ね」であるし、その上で、尊敬している。ブルドーザーは土地を綺麗にならしてくれるが、しかし、やはりどうしても、完璧に誰も傷つけず、蟻一匹も殺さないで綺麗にすることはできないのだ。(田中角栄は「コンピューター付きブルドーザー」と言われた。)

そう、やっぱり、偉い人は考えに考え尽くしたら、同じ結論に至るのだ。
そして、同じ行動に至るのだ。

今日のおさんぽ日記は長くなった。
お散歩のコツはふらふら適当に歩くこと。

今日入り込んだ広場みたいなところでは、草っ原の中に竹が少し生えていた。

なぜだか貼りたくなった僕の好きな曲。タイトルに特に意味はない。なぜだか貼りたくなっただけ。

竹は日本古来の、植物だ。
匂いや、触った感じとか、何だか他とは違う、変な感じがある。
僕が不法侵入、間違えた、散歩で入り込んだ広場にも、幼い竹がたくさん生えていた。

きっとこの竹は自然に生えて、自然に枯れていくのだろう。

これを何か素敵なものに変えて、ビジネスにしたらいいのにな。

と思ったところで、同じことをしている人を思い出した。

池田親生という人が「竹あかり」というものをつくっている。

池田さんは、散歩している時にたまたまサイン会みたいなのをやっていたから、そこで少しだけお話した。

『馬鹿になる勇気』

https://amzn.to/3QFEHEc

という本を出している。
彼の過去を聞いたが。
たしかに「馬鹿」だ。

「馬鹿」とは、「損得感情で動かない」という意味だ。

そしてまた、損得感情で動く人間ばかりのこのクソ社会を変えるのは、損得感情で動かない人間だ。

社会学的に言うと、内発性に満ちた人間こそが社会を変えるのだ。

古代のギリシャの勇者たちが、今も神話として語り継がれるほどの蛮勇を示したのは彼らが、損得ではなく「俺が行かなきゃ誰が俺たちの街を守るんだよ?」という、損得勘定を越えた義務感で戦ったからだ。

だから、池田さんの本のタイトルは間違っている。

馬鹿になる勇気?

いえいえ、

馬鹿だから勇者

なんですよ。
(池田さんの馬鹿っぷりは、本に書いてある。よければ、みんな読んでね。)

そういえば、池田さんは面白い人で、イケダラーという彼が独自に発行した紙幣をつくっている。僕はそれをもらった。そしてそれにイケダラーの市場価値換算でのレートを記入してもらった。(あとで写真を送るね。)

今度どこかのお店で会計の時に使ってみよう!
はい!1イケダラーです!
お釣り、9990万円、お願いします!

池田親生
X(Twitter)@ikedachikao
https://twitter.com/ikedachikao

Instagram(chikaken_takeakari)
https://www.instagram.com/chikaken_takeakari/

2024年5月11日 33分16秒

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