にゃーん
(人間語・日本語訳
今日は起きると憂鬱が襲ってきた。
久しぶりのこれだ。
僕は安定剤を一錠飲んで、ベットに横になった。
そしてX(Twitter)のタイムラインを眺めて、公式LINEのスパムフォルダを眺めた。
僕は、基本的にすべてのメッセージに目を通すが、明確な悪意と話が通じない相手、それを読むことでただだだ僕の心が磨耗してしまう相手は、このスパムのフォルダに入れさせてもらっている。
ただ、月に1度かくらいは、ざっと目を通すようにしている。
やはり、僕の心が傷つき、また腹が立つ内容がたくさん送られてきた。
どうして、こんな精神状態の時にスパムフォルダを僕は見たんだろう?
僕は公式LINEを送るのに1通2円のお金がかかっている。だから、僕に罵倒の言葉を浴びせる人にもお金がかかっている。別に登録してと頼んだわけではもちろんない。でも、僕の毎日の内容に関して、お怒りとお叱りと訂正を求めるメッセージが山のように来ている。
正直、腹が立って仕方ない。
しかし、その批判のうち、5個に1つは、よくよく考えると、当たっているというか、彼女がそもそも金を払ってメッセージを届けてもらっているということを抜きにすれば、たしかに僕の人間性の部分の的確な批判になっている。
悔しいけど、感謝しないといけないな。
(とはいえ、さっきまで、こんなやつに1通2円もかけてメッセージをなんで送らないといけないんだよ。こいつをこっちからブロックすることはできないのかよ!と怒り狂っていたわけだが笑)
僕は、僕の中に子供の自分と大人の自分が同居しているのを感じる。
トー横キッズとは、よく喧嘩をする。
その時の僕は、とても子供だ。
でもそれは、彼らと真剣に向き合っているからこその結果だと思っているから、僕はこれからも彼らと喧嘩することをやめるつもりはない。
しかし、大喧嘩をしたあとに、すぐふと大人の自分が戻る。そして喧嘩した相手のところに行って、ごめんなさいと言い、そして土下座を何度も繰り返す。パフォーマンスとしてもあるかもしれないが、僕としては、自分に対する戒めなのだ。トー横にいる子たちは、色んな背景があって、僕のようにのんきに生きている子ばかりではない。色んなしがらみやストレス、孤独、イライラ、そういったものがある子たちだ。いくら正論とはいえ、その子たちと同じ目線で喧嘩することはよくない気がする。
見下しているわけではなく、もう少し大きな目線で、彼らや彼女たちに接してあげたいと思う。
とはいえ、彼ら彼女たちと、喧嘩するのは、実のところ楽しいんだけどね。
なんていうか、脳がアドレナリンのようなものを出すし、一歩間違えれば殴られたり、囲まれたりする、また、喧嘩していたと思ったら、いきなり泣き出してごめんなさいと胸に飛び込んでくる、僕は彼らや彼女たちとそういう風に、等身大で接するーー喧嘩するのが好きなのだ。
僕はトー横のみんなのことが大好きなのだ。
みんな、頑張ってて、偉い。
みんな、ぎりぎりを耐えていて、偉い。
僕は彼らや彼女たちを、応援している。
頑張って。
今はまたそれしか言えない。また、あそこに悪い大人が入りそうになったら、僕の方で手を打つ、それくらいしかできることはないけど、僕はトー横のみんなのことを応援している。
こんなことを書いてもいいのかな?
未成年淫行、未成年飲酒、よくないお薬、睡眠薬のオーバードーズ。
僕は見て見ぬふりをしている。
いや、見てはいるのか。
「あ、やってるなー。あんまりやりすぎるなよー、量多いと死ぬからな、わかってる?」
「わかってるもーん、イェーイ!」
「てかお兄さん、顔いいね、こっちきて!こっち!」
「あのさあ、君、未成年でしょ、そういうのやめて」
トー横は、日本の社会の歪みの縮図があると思っている。
だから僕は、もう少し、この場所を見続けるつもりだ。
さて、散歩は結構進んだ。
朝だと思ったら、夜の7時だった。
どうりで人が多いわけだ。
歩きながら、朝からの猛烈な憂鬱は少し薄まって来たけれど、同時に、僕の人間的な問題と、現実の問題が襲ってきた。
「はあ…」
僕は大きなため息をついた。
今から家に帰るが、きっと、何度もため息をつきながら、そのひとつひとつに対処、考えていくのだろう。
しかし、そのひとつひとつから逃げずにちゃんと向き合って解決することでしか、その先には進めない。だからこれは必要な過程だ。
そして僕は帰り道にひとつ考えた。
僕はたぶん、このままだとある程度の大きな力を得る。
では、その力を何に使いたいんだろう?
まずは、自分と仲間を守るため。
でも、僕の得る力は、それを越えることになると思う。
最近、SNSで、日本財団さんが叩かれていた。
僕が心配するのも失礼な話で、日本財団さんは、創設者の笹川良一さんの「悪口は有名税」とばかりに、SNSの批判なんてどこ拭く風だと思う。
だから僕は、日本財団さんについて、かばう意味ではなく、よく知らないままに叩いている君に、これを教えたい。
日本財団の成り立ちや今の活動、笹川良一さんの本や、今の会長の笹川陽平さんについての本、これを読んでみてほしい。
貧困の家庭に生まれることももちろん苦しみだけれど、莫大なお金が入り続ける一族に産まれることも、そう、宿命だと僕は思う。
笹川陽平さんのことを「宿命の子」と名付ける本があった。まさにその通りだと思う。
『宿命の子』高山 文彦
https://amzn.to/44FwiGl
僕は日本財団さんや笹川良一さん、笹川陽平さんの本を大量に買って順番に読んでいっている。
この本はまだ目次と最初の少ししか読んでいないので、読んでもいない本をすすめるのは僕のポリシーとして少しアウトだが、このタイトルが良いので、今回は紹介してみた。
「宿命の子」
まさにその通りだと思う。とても偉い政治家、天皇の子供、そして笹川陽平さん、彼らは、産まれ落ちた時点で、「宿命」を背負っている。「宿命」を背負っていない僕たちとしては、それについて知り、考える必要がある。昨日の池田さんのところでも書いた話に通じるけど、「損得勘定で動かない人間」が一番強いと僕は思っている。「宿命」を背負っている人たちも、同じだと思う。
思えば僕は、自らで自らに「宿命」を課しているのかもしれないな、ふとそう思った。
さて、そろそろ今日の散歩は終わりだ。
散歩の終わりに、僕は立ち返って考える。
僕が力を手にした時に、それを何に使おうかな。今までは社会貢献活動、あるいは、公益性の高いビジネスに使いたいと思っていた。
しかし、彼らの高い志を振りあおって見ると、僕には到底できない気がしてくる。
あるいは、「やっぱやーめた!好きなように生きる!お金はぜーんぶ自分のために使うもん!」こんな風になる僕が目に見えている。
ちょっと、先のことを考えすぎだな。
まあ、それほど先ではないんだけど。
まずは、目の前の問題に対処しよう。
というわけで、今日のおさんぽ日記はこれで終わりだ。
みんなも僕と会うまで、生きててね。
)
おさんぽ日記 2024年5月12日 19分54秒
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