2024年5月13日
にゃーん (人間語・日本語訳 今日も起きると鬱がやってきた。二日連続だ。昨日よりも酷い。 どんな感じか つらい、絶望、つらい、絶望、どうしようもない、つらい、どうしようもない、みんなが持ってるものをもっていない、どうしようもない、かなしい、つらい、絶望、不安、かなしい、何か大きな失敗をしてしまった(正確には、そんな時の感情)、つらい、寂しい、つらい、何か大事なものをうしなってしまった(正確には、そんな時の感情)、つらい、悲しい、つらい、自分が悪い、つらい、自分が悪い、希望がない、さびしい 心がこんな風になる。今日はあまりにひどくて、金縛りのように、しばらく起きれなかった。そのあいだも上みたいな鬱は襲ってきて、全身から汗が出た。 ようやく動けるようになって、テーブルになんとか座る また上のつらい気持ちを耐える そして何とか安定剤を2錠(本当は1錠しかだめなのだけれど、今回は本当につらかった)口に放り込んで、プラシーボかもしれないが、今それから10分か20分経ち、少し落ち着きはしたが、上のつらい感情はずっと尾を引くように落ち着いている。 こういう時こそ散歩に行くんだ、という理性的な思考がちゃんと働き出して、今から散歩に出るところだ。最近人に会いすぎているからだろうか?最近休んでいないからだろうか?理由を考えても意味がないけど、散歩から帰ったら今日は休みの日にしよう。(といいつつもきっとずっと何かをしてしまうんだろうな。) 今から散歩に出る。しとしとと、すこしだけ、雨が降っているけど。 散歩に出て、今帰ってきた。しとしと、どころか、ザーザーだった。でも今日はちゃんと散歩しないといけないと思って、傘をさして散歩に出た。 僕は、やろうとしていることは、少しは社会を変えるかもしれないことだと思っている。これからやれることも。そのわりに、その僕のやろうとしていることの立派さに比べると、僕という個人は、人間として弱すぎる。 昨日、実は起きて鬱が襲ってきた後に、ある人に酷いことを言ってしまった。どうして酷いことを言ってしまったのかわからなくて、時間を見たら、昨日も同じように起きた時に鬱で、その一時間後くらいに、酷いことを送ってしまっていた。 今は、僕は、理性的な人間でいれている。しかし、こうして、たまに、感情的になる。 たとえば総理大臣がクレージーなら、それは一国の命運を握る人間として、不適当だろう。感情的に核のミサイルを押す人間に、権力を与えてはならない。 僕は僕に同じことを思う。もちろん僕は、核のような権力を持ってはいないが、人に少しは影響力を与えられるし、僕に頼ってくれる人も少なからずいるし、僕がいないと回らないことや、僕がいないと困る人たちがいる。 そういった抱えているものごとや人の多さに対して、僕という個人はまだまだ弱すぎる。 僕はそれを自覚している。僕と会ったことのある人は、ある種の僕の見た目の異様さを知っていると思うが、あれも、僕という人間の特性を、理性的な僕が対処した結果のあれなのだ。 服が濡れていたので、着替えてベッドに戻った。少しずつ、気持ちが落ち着いてきた。本当はきっともういらないのだろうけど、追加で安定剤を2錠、追加で飲んだ。 部屋の明かりを消してベッドに横たわった。 それでもやはり僕の前には色んな問題があり、失ってしまったことがあり、悲しみがあるけれど、希望もある。 読まなければならない本が2冊あるのだけれど、まだ読めていない。そういえば、さっき帰ったらおやすみにしようと書いていたけれど、やっぱりおやすみできそうにないな。 そしてまた、その本は、僕が酷いことを言ってしまった女の子が買ってくれた本だ。 僕はひとを操ったり、好きにさせたり、依存させたり、そういうことを、理論のように考えて、意識的にやっているわけではない。そんなこと一切考えていないし、むしろ、正直に自分は性的に奔放だとか(とはいえ実際はそんな暇なんてほとんどないんだけれど)あえて嫌われるような言動をしたりすることもある。それでも、僕を好いたり、依存に近くなってしまう人がいる。 無意識で何かをしているんだろうか。あるいは、僕という人間性そのものが、何かの魅力を持っているのだろうか。 安定剤が効いてきたのか、本を読む気になってきた。僕には読まなければならない本がたくさんある。本当にたくさんある。読まなければならない本だけで、段ボール箱に100個分くらいあって、それはある貸し倉庫に入れてある。 だから最近は、読むべき本に順番をつけている。 ・ミャンマーの歴史についての本・ミャンマーの歴史について軍部の立場から書いた本・中曽根康弘と石原慎太郎の対談本・睡眠薬についての専門書・「善の研究」・安倍晋三回顧録並びにその副読本・悪名の棺、その他、笹川良一さんと笹川陽平さんに関する様々な本・読売新聞オーナー渡邉さんに関する様々な本・「帰還兵はなぜ自殺するのか」・手塚治虫の「火の鳥」・ゴーダルの映画史・ピーターティールに関する本・「生物から見た世界」ユクスキュル・ニーチェ全集・夏目漱石全集・進化心理学についての本 僕の部屋のパソコンの隣には、直近で読むべし本を並べているのだから、その一部だけでもこれだけある。 鬱もだいぶ戻ってきた。まずは読むことから始めることにしよう。 そういえば、昨日ふと思った。僕の公式LINEには、色んな苦しみを抱えた人たちからのメッセージが来る。僕に来るのなんてごく一部で、日本には、苦しみを抱えた人がたくさんいるのだろう。 幸いにも僕は、自分の部屋があって、時々、そう、まさに今日のように鬱にはなるけれど、時間が経てば落ち着いて、本が読める。そして、少しずつやれる作業を増やしていける。 でも、僕の公式LINEに寄せられる人たちには、そうした「居場所」さえない。家庭、家、そうした場所ですら、その人たちにとっては、不安を駆り立てる場所なのだ。 駆け込み寺という団体がある。理念は素晴らしいと思う。日本の苦しみを抱えるすべての人が駆け込める場所があればいいのになと思う。まるでコンビニのように、ずっとは無理だけれど、とりあえず一旦、苦しい人が、自死や、取り返しのつかないことをしてしまう前に、とりあえず駆け込める場所。 […]