「助けて、もう、怖いの」
何が?
僕はパスタを食べながら片手間にその電話に答える。メンヘラには片手間、それがしんでなねこになるのポリシー。その方が、みんなしんでねこにならない。ぼくもしんでねこにならない(そもそもしんでもねこにはならないんだけどね。)
「あのね、もうね、犯罪とかね、脱税とかね、叩かれたりね、ホストとか、売掛とか、もうね、怖いの。もう、まい、怖いの。お願い。助けて。」
片手間に食べ終わりきらぬパスタを残したまま、席を立ち、片手間では済ませられぬ彼女の助けを、両の手でスマホで耳に当て、僕は、こう答えた。
「やっと、わかったんだね。」
「うん、わかった。わかったから。お願い。お願いりお願い。ねえ、怖いの、ねえ、怖いの、怖い、怖い、怖い。怖い。ねえ、お願い。まい怖い。助けて」
片手でリュックを持ち上げて、会計を済ませた僕は、片手で会計を済ませながら、両の手を、いや、三の手も、四の手も、色んな人の手を借りても救いきれなかった彼女のために、その店を後にした。
人は、自分が変わろうと本気で思わないと変わらない。
これが僕の考えだ。
僕は、彼女に才能を感じて、何年も説得していた。
これが僕の努力だ。
彼女は、僕を信じて、ついには頼ってくれた。
これが彼女の勇気だ。
彼女は、更生を果たし、僕の見立て通り、荒削りながらも才能のほとばしる文章を世に出し、人としての正しい道を歩み始めたところで、過去に間違った道を歩いたことで、堀の中に入った。
これが彼女の現在だ。
渡辺真衣こと、頂き女子りりちゃんの、現在だ。
僕がこれから書く話は、すべて本当の話だ。
警察の方の捜査の不都合にならぬよう、あえて語らぬ部分はあれど、また、関係者に迷惑をかけないよう、あえて偽名を使う部分はあれど、また、余計な罪を増やさぬよう、あえて文学というものの力を借りた箇所はあえど、すべてが真実だ。
僕は、彼女を最も知る人物の一人として、これから、彼女について語る。
しかし、それは、彼女を語ると同時に、この時代を語ることでもある。
それがこの文章を書く動機だ。
そして、それが、彼女に両手を差し伸べていた動機でも、あった。
留置所にいる彼女は加害者ではある。
しかし同時に、僕は、社会による被害者であるとも思う。
だから僕は、ここに、加害者である、社会について、その悪を暴こうと思う。
本当なら、僕は、違う結末を望んでいた。
加害者ではあるが、社会の被害者という意味で、誰もがなり得る存在であった彼女が、過去を反省し、そしてその努力により、すばらしい作品を作り、表舞台で成功することは、この闇に覆われた社会の中で、ひとつの灯台になると思ったのである。
もちろん、どんなに明るくとも、たった一本の灯台が、海のすべてを照らせるわけではない。
しかし、たった一本でも、煌々と輝く灯台は、その灯台を目指して、家庭内での孤立や、クラスでの孤立、居場所のなさ、自己肯定感の低さ、ホストへの依存、そうした社会の海に溺れるたくさんの女の子たちにとって、目指すべき、希望の灯台になれると思ったのだ。
もちろん、その灯台にたどりつけず、溺れて死ぬ子もいるだろう。むしろ、多くの子が、溺れて死ぬだろう。しかし、その灯台が、一本でもあることで、暗い海をさまよう女の子たちにとって、たとえ最後は溺れることになっても、その深い暗い海の中、息絶える最後まで、その灯は、その暗い水で息絶える寸前まで希望の灯りとして、ともっているだろう。
しかし、残念ながら、その渡辺麻衣という名の灯台は、建設途中でついえてしまった。しかし、せめてその途中まで建てようとした、その記録を僕はここに記したい。
いや、僕たちは彼女に簡単な地図を渡しただけだ。
自らの強い意志で、悪を断ち切り、依存から脱却し、自ら灯台となろうとした、その彼女の軌跡を、僕は、ここに記したい。
過去にした詐欺で逮捕された彼女が、護送車の中で祈るように手を合わせていたように、この記事が、彼女と同じく苦しみの中にいる誰かの救いとなることを、僕は祈る。
それでは、渡辺真衣、頂き女子、りりちゃんの話を、はじめる。
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